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吉沼お寺巡り(前編)

こんにちは。芸術専門学群2年の澤口亮太です。今回は吉沼にある5か所のお寺を巡って見つけたそれぞれの特徴、私の専攻である建築の観点からの違いを紹介していきたいと思います。


それではさっそく一か所目、「勝智山正福寺」。吉沼の街の北側にある小高い地形の上に位置しているお寺です。

まずはお寺の基本的な情報から。


宗派は真言宗豊山派。皆さん一度は聞いたことがあるであろう弘法大師(空海)が平安時代に開いた真言宗。そこから遥かな時が流れ、江戸の5代将軍徳川綱吉公の母である桂昌院が広めたのがこの真言宗豊山派です。

正福寺の建立は1496年。当時は田倉山正福寺と言っていたそう。その頃この地には栗崎城という、小田城の支城があったそうです。城の土塁跡を伽藍堂裏の駐車場横に見ることができます。1535年の落城とともに現在の、勝智山正福寺の名前になりました。


現在のお堂は近年、東日本大震災の被害を受けて再建されたものです。そのためとても綺麗なお堂を見ることができます。

ここからはそのお堂について、建築の観点から少し説明をしていきたいと思います。

まず、お寺には大きく分けて3つの造りがあります。

1つ目はすべての大元となった「和様」。これは唐から伝わった建築技術が日本の風土に合わせて変化していったもの。

2つ目は鎌倉時代に改めて中国から伝わった「大仏様・禅宗様」です。貫という、柱を横一直線に貫通する部材が特徴です。

3つ目はこの大仏様・禅宗様に、唐建築と和様のように日本の風土に合わせた工夫が取り込まれていった「新和様」。よっぽど古くからあるお寺でない限りは基本的に、ほとんどがこの新和様という造りのものになっています。

上の写真を見ると太い柱と梁があり、その間に少し細い貫が通っているのがよく分かると思います。

お寺の建築は神社のものと比較すると大きく突き出た、形の豪奢な屋根が特徴的です。そしてここ正福寺ではその屋根を支える垂木や斗栱といった寺社建築には欠かせない部材、先ほども少し出てきた柱、梁、貫という寺建築の基本を非常に分かりやすい状態で見ることができるので寺社建築に興味がある方には非常におすすめです。




続いて紹介するのは勝智山正福寺から東に少し行ったところにある「慈眼山金蔵院」。

こちらは正福寺と同じく真言宗豊山派のお寺。

火災にみまわれながらも終戦後に再建され現在の姿となっています。建築的にはお寺の中では比較的新しいため、普通お寺と聞いて想像する姿とは少し違うかもしれないですね。しかし突き出した屋根、垂木、柱や梁などにお寺らしさや歴史を垣間見ることができます。

本堂は特段大きいわけではないですが、境内には非常に大きな銀杏の木が鎮座しています。樹齢はなんと役300年、幹周りは4メートルと非常に立派な樹です。私(写真に写ってます)の身長が170センチちょっとなので、銀杏の木は20メートルはありそうですね。

葉が黄金色になる時期に是非訪れてみたいです。(銀杏の実の量が凄そうですが)


さて、非常にボリュームのある2つのお寺を紹介させていただきました。残り3つのお寺は後編の記事にて紹介させていただきますのでそちらも是非ご覧ください。





こちら後編です。

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