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谷田部で見えた”開発”と”文化”のせめぎあい

更新日:2021年10月17日

こんにちは。社会・国際学群国際総合学類3年の櫻井藍花里です。


突然ですが、みなさんの町の中には、どれだけの神社やお寺が残っていますか?

どれだけの畑が残っていますか?

逆に、あたらしい住宅はどれだけ増えましたか?


わたしは大学で「都市の開発と文化の共生」を学んでいます

なので、今回は、つくば市谷田部を実際に歩いてみて


谷田部はどんなふうに開発が進んでいるのか?

開発が進む中でどんなふうに地元の文化が残されているのか?


という視点で私が感じたことを書いていきます!


開発の進む谷田部


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まず、1か所目です

デザイン性の高い新興住宅ですね

緑の畑が広がるなかで、この1棟だけが目立ちます


「畑の中にポツンと立つ一軒家」って、あなたの地元にもありませんか?


実は、このシチュエーションは、都市計画の用語でいえば「スプロール」と呼べるものの一種です


不動産情報サイト「ホームズ」によれば、スプロールとは次のとおり

スプロール現象とは、都心部から郊外へ無秩序、無計画に開発が拡散していく現象のことです。 居住環境が整わないまま虫食い状態に宅地化が進んでいきます。

スプロールは、自治体がちゃんと都市計画のルールを定めていれば防げるものなんですよね

全国各地に谷田部のこの住宅のような、「畑の中にポツンと立つ一軒家」は増えています

しかし、ここから進んで、ゆくゆくは、あたり一帯の畑ぜんぶが新興住宅に置き換わってしまったりするんですね



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先ほどのポツンと一軒家は、先見の明があるのかもしれません

すぐ近くで道路建設工事が行われていました

北大通りから研究学園、万博記念公園駅を通って、みどりのまで伸びてきた4車線道路のようです

広大な畑の真ん中をズバッと横切っているのが印象的です


TXみどりの駅周辺では、現在、4つの道路新設、1つの道路延伸、2つの道路拡幅が行われているようですね


みどりのの成長著しい様子が見て取れます

茨城県は電車ネットワークが弱く、車がないと不便な社会ですが、その分道路渋滞が深刻です

住民の人びとにとっては、道路ネットワークの整備は望まれることでしょう


残る谷田部の”文化”

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さて、成長著しい谷田部の町の中で、しかし、古い歴史を伝える遺産も多く残されています

「谷田部陣屋跡」はその1つです

写真は、御殿玄関を移築した現在の公民館玄関です

黒光りする瓦で入母屋が葺かれた、立派な建築ですね


ただ、ビックリしたのが、建っている場所。

なんと、殺風景な一般の駐車場の中にポツンと残されているのです

最初はおもわず見逃してしまいました…


「陣屋跡」(城址)は、今ではすべてが谷田部小学校の校庭になっていて、遺跡らしい遺跡はこの玄関だけです


もうすこし雰囲気に統一感をもたせて展示すれば、見に来る人も増えるんじゃないかな…?と思いました


ただ、駐車場が必要な事情ももっともですから、その空間をどう使うかは、価値観の分かれるところでしょうね


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続いてこちらは、県道133号線沿いにある鹿島神社です

突然あらわれたので二度見しました!


中に入ってみると、すぐ横が大通りとは思えない静けさ…

木漏れ日の中に、こぢんまりと美しい本殿と、3つの小さな祠が建っていました


実は、鹿島神社は、平成8年に新築されているんですね

境内にあった新築記念碑を読むとこう記されています

上萱丸集落には鹿島神社の祭礼の費用に充てるため氏子24世帯で所有する水田があった。 (中略) 現在の鹿島神社は老朽化が著しかったため沿線開発の区域内で先行買収を進めていた茨城県にこの祭田を売却し鹿島神社の新築費用などに充当することとした。 祭礼については将来にわたり無理なく執り行える抜本的に改革した。

時代の変わり目の中で、いかに昔ながらのものを変化させて残すか、その葛藤が伝わってきますね

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最後に紹介するのは、県道133号が脇道に入る場所にある、道祖神とお稲荷さんです

こちらは、先ほどの鹿島神社と異なり、道路に向かってオープンに建っています


わたしがこの場所を印象的に感じたのは、そのまわりの風景とのコントラストです


道祖神とお稲荷さん自体は、かなり古いものだと思われます

一方で、その後ろには一般住宅が建ち、さらに向こうには高層マンションが見えます


実はこの場所は、沿線開発の影響を受けた鹿島神社から歩いて2分ほどしか離れていません


逆に考えれば、あたり一帯の開発が進む中で、この祠だけは残されたということでしょうか


当時の人々の想いが垣間見えます




以上が、わたしが谷田部とその周辺の町を実際に歩いて見つけた「開発と文化のせめぎあい」です

あなたも、自分の町に”残されているもの”に目を向けてみてはいかがでしょうか?



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