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まるで京都や奈良にある建造物!?ー平沢官衙遺跡ー

こんにちは。国際総合学類2年の安藤涼夏です。今回私はつくば市にある北条に行きました。そこで私が見て気になったテーマについて書いていきたいと思います。

紹介するのは国指定史跡になっている平沢官衙遺跡です。ここは北条大池から歩いて3分ほどの距離にある遺跡群です。平沢官衙遺跡は奈良、平安時代の常陸国筑波郡の役所跡で、今ある建物はこの貴重な文化財を後世に伝え、活用するため、平成9年度(1997)から6年間をかけて復元されたものです。この遺跡では一般の遺跡ではみられない大型の高床式倉庫と考えられる建物が多く並び、その周りに大きな溝があるという全容が確認されました。この倉庫跡は、そのころの税である稲や麻布などを納めた、郡役所の正倉跡だと言われています。


私がまず惹かれたのはこの景色です。小高い丘の上にある平沢官衙遺跡はとても映えました!インスタに載せたくなります!笑また、私が行った日はまさに夏空という言葉がぴったりな青空が広がる日だったので、青空をバックに一面緑の丘に立つ歴史的な建造物という構図は見ていて爽快になりました。そしてその後ろに映る筑波山も最高です。この景色見ながら原っぱでゆっくりしたらとても気持ちよさそうだなぁなどと考えながら歩いていました。しかも私以外人がいなかったのでこの景色を独り占めすることが出来ました!みなさんが平沢官衙遺跡に行くときは夏に行くことをおすすめします。少し暑いですが笑



私の個人的な感想はここまでにして、この遺跡の詳細を紹介していきます!まずは3つの建物でど真ん中に位置するいかにも一番重要そうな建物からです。これは平沢官衙遺跡で最大級のⅢ期の建物です。古代の文献によると群衙において中心的で巨大な正倉は法倉と呼ばれ、土壁構造が多かったと推定されることから土倉で復元されています。この建物は高床式で鼠返しなどもついています。これらの用語は多くの人が歴史の授業で習ったことあるのではないでしょうか。いかにも京都や奈良にありそうな建物だなあと見ながら思ったのですが、復元には奈良県の法隆寺封蔵を参考にしているそうです。



次に紹介するのは右側にある一号建物と呼ばれるものです。ちなみに先ほど説明したのは二号建物と呼ばれています。一号建物はこの3つの建物の中で最も面積が狭いです。古代の文献によると校木を井桁状に組み上げる校倉は郡衙正倉では中規模以下の倉に多いらしいです。この建物の復元には奈良県の東大寺や唐招提寺に現存する奈良時代の校倉を参考にしたらしいです。近くで撮った写真を見ると組み立て方がわかりやすいです。この校木の積み方は雨風が倉の中に入りにくいようにしているということは日本史で習いました!笑こういうところで勉強したことを自分の目で確認できると勉強も意味があったのだなあと感じました笑




3つ目は一番左側にある三号建物です。右側の建物から一号、二号、三号。おそらく建物の名前の付け方はそこまで深い意味はないのでしょう。これも二号建物とともに平沢官衙遺跡で最大級のⅢ期の建物です。この建物では側柱穴に2本の柱痕跡が見つかっています。これは、一本は床上まで伸びて桁、梁を支える通し柱、もう一本は床を支える柱と考えられているため、柱の間に板壁を落とし込む板倉で復元されました。郡衙正倉はこの板倉が最も多いそうです。この3つの建物を見ていくとそれぞれで建物の組み立て方がちがいました。同じ遺跡群なのに建築方法は異なるとはとても不思議でもっと知りたくなりました!


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